〔昭和四十二年 小学校六年生の頃の話〕 春日井市立鳥居松小学校 同窓会の皆さん。 お元気ですか ? ![]() 卒業アルバムから ![]() 僕等が卒業した数年後、すべて鉄筋コンクリートの校舎になりました。 僕が六年間通っていた 小学校は木造校舎だった。 鳥居松小学校は 明治四十二年開校。 歴史と伝統を 誇る小学校であった。 校舎のあちこちで 僕等は この小学校の歴史を感じた。 例えば ツギハギだらけの凸凹廊下。 廊下の板に穴があくと その穴にかぶせるようにして 板が釘でうちつけられていた。 それが 一、二箇所なら まだしも 長い廊下には 何十箇所も 補修されていた。 気をつけて歩かないと つまづいてしまうのだった。 廊下を雑巾がけする時 雑巾が補修板に 引っかかってしまうので やりにくかった。 ずるい子は 補修板を迂回して ぞうきんがけ を していった。 廊下の雑巾がけほど 悲しいことは 無かった。 一生懸命 汗して 雑巾がけをしても ちっとも 廊下は きれいに ならなかった・・・。 ![]() 掃除をしている さとちゃん〔立っている少年〕 僕等の 小学校には 廊下の修理とか ざら板の修理をしてくれた 先生がいた。 確か 河原先生という 色黒で中年の先生だったと思う。。 ー僕は 先生だとは 知らず 長い間 大工さんだと 思っていた。ー 河原先生の腰には いつも 大工道具を入れた 袋が ぶらさげてあった。 見た目も 職人風で 恐そうで 気難しそうな 顔をしていた。 河原先生は 昼休みの放課時間に 校内を巡回していた。 そして 発見した 痛んだ廊下やざら板を ひとりで 修理していた。 修理が始まると 先生のまわりに 子供達の 人垣ができた。 河原先生の腕には確かなものがあった。 恐そうな先生だと僕は ずっと思っていたが 実際は 優しい先生だった。 集まってきた子供達を からかいながら 楽しそうに 修理していた。 先生は 鳥居松小学校に 赴任している間に ツギハギを いくつ作って 残していったのだろう? ![]() 倒壊しそうだった講堂 四角い窓ガラスが懐かしい教室。 ツギハギだらけのオンボロ木造校舎。 冬は隙間風の冷たさに震えた教室。 けれど 今は 木造校舎で 授業を受けて 良かったな。 と 感謝しています。 なにより 木造校舎には 河原先生のような 優しさと ぬくもりが 残っていた。 ![]() 児童数急増のため 建てられたプレハブ仮設校舎。 入れられた児童は 木造教室を 恋しがっていた。 ![]() おまけ/ 校舎前にあった池には 恐竜の像がありました。 |
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